さぁ、インドへ行こう!~(7)

意外に美味しかったベジタリアン・ターリーで腹ごしらえも済み、いよいよエレファンタ島 Elephanta Island の頂上へ向けて、階段を上り始めることにする。階段の入り口からその先を眺めてみても、頂上は見えない。

幼いころ、毎年正月三が日に、母親が京都・伏見稲荷大社へ連れて行ってくれたことを思い出す。本殿近くに小さな山があり、その頂へ向かう長い階段を、兄貴や妹と競争したものだ。いつも、私が負けていたのを思い出す。

その階段道には、道をまたぐように数メートルおきに小さな鳥居が立てられている。頂上へ着くにまでに、いくつの階段を上るのだろう、いくつの鳥居をくぐるのだろう、と3人兄弟で数えたことがあったが、今ではその数は忘れてしまった。たしか、階段は1000以上あったような気がする。頂上へ着いたころはもうヘトヘトで、階段脇にある茶屋の入り口で、母親の到着を待ったものだ。

そういえば、今日は12月30日。いわゆる正月休みで、ここエレファンタ島 Elephanta Island へ来ている。明後日には新年が明けている。三が日には少し早いが、あの時の伏見稲荷大社を思い出して、この階段を上っていこう。そんなことを思いながら、未知の世界へ飛び込むような気持ちで、第一段目を踏み出した。

階段を上り始めてまもなく、細長い棒二本がくくりつけられた青く塗られた椅子が並べられているのを見つける。一瞬にしてその正体がわかった。やはり、ここはインド。どんなことでも商売に結びつけるところが彼ららしい。この長い階段を上りたくても上れない年配者などは、とても助かるだろう。旅の記念に・・・と一瞬、気持ちが揺らいだが、ここは自分の足で歩こう、と決心した。


頂上へ向かう急な階段道。階段脇にはたくさんの土産物屋が所狭しと並んでいる。


まるで神輿を担ぐように、4人の男が木の棒を方に乗せて観光客を運ぶ。


楽そうだが、みんなが見つめる中、どんな気分なんだろう・・・

さぁ、インドへ行こう!~(6)

16世紀にポルトガル人が上陸し、巨大な石彫りの象を発見してから、エレファンタ島 Elephanta Island と呼ばれるようになった。

ここには、6~8世紀に作られたと言われている7つのヒンドゥー教の石窟寺院がある。すべての石窟寺院で、シヴァ Shiva 神が祀られている。ポルトガル人によって多くが破壊されたが、唯一、第一窟だけがその難を逃れたという。

その第一窟へは、この島の頂上にある。船着場からそこへ行くには、長い桟橋をわたらなければならない。歩いても良いが、ミニトレインに乗ってへ向かうこともできる。桟橋を渡り終えると、Elephanta Cave の標識があり、左手に入り口がある。ここで入島税(5ルピー)を払い、その先にある階段を上っていかなければならない。

どれぐらいの階段を上らなければならないのか。船で軽い睡眠をとったとは言え、今日もまだ長い。朝から体力を消耗させたくない気持ちが芽生える。そういえば、朝ホテルを出てから何も口にしていないことに気づいた。目の前の試練に突入する前に、軽く腹ごしらえでもすることにした。


船着場から島の入り口へ向かうミニ・トレイン


エレファンタ島 Elephanta Island の入り口を示す標識


エレファンタ島 Elephanta Island の入り口。ここで入島税(5ルピー)を払う。


頂上へ向かう階段の入り口付近。右手のレストランに入り、ベジタリアン・ターリーで腹ごしらえをした。

さぁ、インドへ行こう!~(5)

無事にエレファンタ島 Elephanta Island 行きの船のチケットを手に入れた。さっそく、インド門 The Gate of  India 脇の乗り場へ向かう。そこには、いくつもの船が横付けされていて、どれがエレファンタ島 Elephanta Island へ向かう船なのかわからない。波止場の案内人らしき人に“Elephanta?”と聞くと、目の前の船に乗せられる。多少不安に思うが、目の前を見ると日本人らしき団体数人が同乗している。“間違いない・・・”

息つく暇もなく船は沖へ向かう。エレファンタ島 Elephanta Island までの所要時間は約1時間。ちょっとした船旅だ。元来、船旅や列車の旅などが大好きなで、旅するときは必ず船や列車の移動を行程に入れる。今回の旅でも、チェンナイからマイソールへ移動するのに、夜行列車で向かうことにしている。

私を乗せた船は、大きなエンジン音をたてながら、エレファンタ島 Elephanta Island へ向けてゆっくりと進んでいった。


エレファンタ島へ向かう船から見たインド門(右)とタージ・マハル・ホテル(左)

年末の激務を乗り越えて、昨日はANAの直行便で成田からムンバイへ移動。やはり疲れが残っていたのか。船の上で少し眠ってしまったようだ。旅慣れてくると、どんな状況でも寝られてしまう。しかし、油断は禁物。すぐに、身の回りの物を確認。“良かった、無事だ・・・”。といっても、ここで持ち物を取ったとしても、犯人はどこへも逃げようがない。

目が覚めて時計を見ると、船が出てちょうど1時間。眠ってしまったおかげなのか、エレファンタ島 Elephanta Island へは、あっという間に着いた気がした。寝たのは30分ぐらいか。昼寝(といっても、まだ朝10時だが・・・)の効果は抜群だ。気分爽快、気だるい体が完全快復した。

目の前の日本人団体が気にかかる。私が一人旅を好きなのは、旅先で出会う地元の方々と話をしたいからだ。同じ日本人同士では、やはり日本語で会話をし、日本にいる延長線上のような気がしてしまう。だから、いつも、あまり日本人が来なさそうなところへ行く。そんな私にとって、目の前の日本人団体客は、見て見ぬ振りをする対象となってしまう。

しかし、そういうときに限って、その団体の一人が声をかけてくる。“日本人ですか?”と。“はい”と素っ気なく答える。“正月休みですか?”と更に質問してくる。“はい”とまた素っ気なく答える。内心では、“盆休みなわけねぇだろ!放っといてくれ!”とイライラし始める。そんな私の気持ちを察したのか、その人はそれ以上、私に声をかけてくることはなかった。“また、悪態をついてしまった・・・”と反省をしながらも、今回の自分の旅を前へ進めるべく、船を降りた。


エレファンタ島に到着し、下船する人々

さぁ、インドへ行こう!~(4)

2度目のムンバイ。今回は、ムンバイ市内には関心がない。朝早く出かけ、目指すはエレファンタ島 Elepahnta Island 。

前回、日本から計画してきたスケジュール通りに、ムンバイ滞在最終日にエレファンタ島 Elephanta Island へ向かおうとした。今日と同じようにインド門 The Gate of  India 近くをさまよう。エレファンタ島 Elephanta Island 行きの船のチケットを入手するためだ。

ここムンバイでも、観光地では客引きが多い。インド門 The Gate of  India 近辺はなおさらだ。前回、エレファンタ島 Elephanta Island 行きの船のチケット売り場を探していると、何人かの客引きに声をかけられた。“No, thank you. I’m going to Elephanta.”と軽くあしらう。すると、何人もの客引きが“Today, Elephanta is close.”という。それでも無視をしていた。しかし、とてもシツコイ。数人に囲まれた。念のため、片手に持っていた地球の歩き方に目を通すと、ページの端に小さな文字で“休:月曜”と書いてあるではないか。そう、前回、エレファンタ島 Elephanta Island へ向かおうとしたのは、ちょうど月曜日だった。


インド門 The Gate of  India 前の広場でハトに餌をやる人

今回は、ちゃんと抜かりがない。今日は日曜日だ。ロンプラには、インド門 The Gate of  India 脇のチケット売り場で船のチケット売っているという。しかし、それらしい建屋は見つからない。近くの現地人に聞いてみた。すると、インド門 The Gate of  India を背にして逆側を指差す。“いい加減なことを言う奴だなぁ・・・” ロンプラに書いてあることと違うような気がしたが、とりあえずその人が指差す方向へ向かうことにした。

歩を進めてすぐに、前方の建屋の前に、十数人の群集が目に入った。“ひょっとして?”と思い、その建屋へ目掛けて、まっすぐに歩く速度を速めた。

“やった!見つかった!” チケット売り場がちゃんと見つけられるか、少しは不安に思っていたが、これでひと安心。エレファンタ島 Elephanta Island へ行ける。

と思ったのもつかの間、そうここはインド。チケット売り場を見つけても、実際にチケットを手にするのは至難の業である。日本みたいに、きちんと並んで順番を待つなんてヤツは一人もいない。横入りや肩越しに後ろからルピー札を差し出すヤツばかり。ここインドでは、日本人魂を捨て去らなければ、タフなインド人を相手に生きてはいけない。


エレファンタ島 Elephanta Island 行きの船のチケット売り場

さぁ、インドへ行こう!~(3)

1年半前に来たムンバイ。そのときも、インド門 The Gate of  India を見た。朝早く出向くと、朝もやがかかるその光景は、実に綺麗だ。また、タージマハルホテル Taj Mahar Hotel も、その荘厳がたたずまいは、いつ見ても圧巻される。

また、アラビア海という言葉は、日本で生活していると馴染みがない。アラビア海はかつて、オランダやイギリスなどの列強諸国が、ここを通ってインドへ綿や香辛料を買い求めてきている。実際にたどり着いたのはもっと南の方だが、その影響なのか、インドでのキリスト教徒は、南部に多いような気がする。

また、このインド門 The Gate of  India は、かつてイギリス植民地時代を象徴する建造物である。イギリス軍の最後の船が、ここインド門を後にして戻っていった光景を見て、現地の人々は歓喜をあげたに違いない。


早朝のタージマハルホテル(左)とインド門(右)


インド門 The Gate of  India


タージ・マハル・ホテル Taj Mahar Hotel


うす雲越しに朝日が差し込むアラビア海(インド門近辺)

さぁ、インドへ行こう!~(2)

インドに到着した。昨夜、ムンバイ・サハール Sahar 空港で手配したコラバ Colaba 地区の Hotel Supreme へ、プリペイドタクシーで向かう。空港からコラバ Colaba 地区までは約1時間。1年半前にも通った道。しかし、その道路脇の光景は、見違えるようだ。

大型ショッピングセンターやアミューズメントパークから放たれる灯りは、眩しいぐらいだ。それも、ひとつやふたつではない。綺麗に舗装された道を快走する車の窓から、数分おきに飛び込んでくる。前回は薄暗く、信号で止まった車の窓からは、路上で生活する多くの人々が見られた。いわゆるスラム街で生活する人々。それが、今回は全く見られなかった。、

またそのタクシーは、工事中の区間を避けるように、右へ左へ車線変更した。交差点を通過するたびに渋滞に巻き込まれた。それが今回は、無駄な車線変更どころか、路面から伝わる車の振動が全く感じられない。1年半前でここまで整備されるとは、急成長するインド、恐るべしである。

Hotel Supreme は、可でもなく不可でもなくレベルだ。ただ、値段が高い。3000ルピー(税金込)もする。しかも、インド門  The Gate of India からも徒歩10分もかかる。コラバ Colaba 地区の中心と言ったのに、なんだこの中途半端な距離は。

最近のインドはホテル代が高い。特にデリーやムンバイなどの主要都市は、ビジネス客の需要に対して供給が追いついていない。日本でもこれぐらいのレベルのホテルであれば、6000円(約2000ルピー)程度だ。インドでは中途半端なクラスのホテルよりも、超安宿か高級ホテルの泊まったほうが、値段と質が釣り合っているのかもしれない。


Hotel Supreme


Hotel Supreme 近くのショップ


Hotel Supreme 前の通り

今日は、エレファンタ島 Elepahanta Island へ行く。インド門 The Gate of  India 近くから船が出ている。タクシーの客引きにあうが、歩いていくことにしよう。ホテル近くで談笑している男性3人に、インド門 The Gate of  India への行き方を聞いた。10分もかかると言う。まぁ、せっかくの旅だから、スローペースで歩いていくことにしよう。


ホテルから歩き始めて、さっそく野良牛に遭遇

私は、旅先では、タクシーなどに乗らないで、極力歩くことにしている。タクシーの車窓から眺める景色は、足早に過ぎ去っていって、現地の人々の生活風景を楽しむことができない。車を停めて一時下車したかったとしても、言葉がうまく通じず、そのまま通り過ぎてしまう場合がある。だから、私は、旅先で歩き続け、夜にホテルへ戻ると、へとへとになっていることが多い。

さぁ、インドへ行こう!~(1)

今回のインドの旅は、ムンバイからスタート。
昨年のゴールデンウィークの旅も、ムンバイからスタートした。しかし、その時はバンコク経由のタイ航空。今回はトランジットなしの成田-ムンバイの直行便。そう、2007年9月1日からANAが就航させた直行便を利用した。

直行便といっても、実は長崎空港で一度着陸。これは、燃料補給のためとのこと。成田からムンバイへ飛ぶときに、地球の自転と同じ方向へ向かい、かつ逆風が吹いていると、途中で燃料が切れてしまうらしい・・・

このANA成田-ムンバイ直行便は、全席がビジネスクラス。初めてビジネスクラスに乗ったけど、とても心地良い。シートの背もたれをリクライニングさせ、フットレストとレッグレストを利用すると、シートがフラットに近い状態になって、とても寝心地がいい。エコノミークラスと全然違う。さすがビジネスクラス。睡眠不足のまま飛行機に乗ったから、搭乗後に爆睡してしまった。おかげで、長崎空港を離陸後に出てきたウェルカムドリンクのシャンパンを貰い損ねた。

機内食の時間になると、フライトアテンダントがテーブルにテーブルクロスをかける。さすがビジネスクラス。機内食自体も、エコノミーだとトレーの上に乗せられて渡されるが、ビジネスクラスだとまるでコース料理の様。アペタイザーからメインディッシュまで、順番に丁寧に提供される。地上でもこんなコース料理のような食事をした経験が少ないのに、機内食でなんて贅沢な!っていいたいけど、病み付きになりそう・・・

食事が終わったら、本を読んだ。『日本語はどこからきたのか―ことばと文明のつながりを考える (中公文庫)』。以前、日本語は南インドから来た、ということを聞いた。アマゾンを検索すると、この本がヒットした。

カステラやキャンディなどの外来語ではなく、日常生活で頻繁に使用する言葉が、タミル語と発音が似ているものが多いとのこと。日本が弥生時代に稲作を始めた頃、海洋ルートを通って南インドのタミル人が日本へ辿り付いたのではないかという。稲作に関する言葉で似ているものが多く、また土器・石器を使用していた縄文時代から稲作を始めた弥生時代へ劇的な変革が起きたのは、外国人の到来で影響を受けたのではないか、という。言われてみれば、その通りかもしれない。南インドが好きな人には一読を薦める。

本を読み終わり、次はビデオを見た。『ビルマの竪琴 』。中学生時代に親に連れられて、また学校から課外授業で見に行った映画だ。第二次世界大戦中に戦地ビルマ(現ミヤンマー)で終戦を迎え、他部隊の日本軍の降伏を説得に出向くために、所属する部隊をひとり離れた水島上等兵(中井貴一)。仲間が収容されているビルマ南部へ向かう途中、日本軍の死体の山を何度も目撃する。自分が葬り供養することを試みるが、その数の多さに悲しみ、途中で諦め仲間のもとへ向かうことにする。南部の収容所に到着し、ようやく仲間に会える直前、戦死した日本兵をイギリス人が供養している光景を目にする。水島上等兵は悩みぬいた末、仲間と一緒に日本へ帰らず、自分はここビルマに残り、戦死した多数の日本兵を供養することを決断する。

「お~ぃ、水島。一緒に日本へ帰ろう」。このフレーズは、当時、中学校のクラスで流行った。丸坊主サッカー少年の同級生に向かって、みんなが放った言葉。とても仲が良い友人だったので、イジメではない(なかったことにしよう・・・)。

ビデオも見終わり、ムンバイまであと2時間といったところ。バッグからロンリープラネットを取り出し、これから始まるインドの旅に必要な情報を確認する。いつも、フライトチケット、パスポート、ビザだけを握り締めて現地に向かうため、ホテル手配や列車チケットなどで、思い通りにいかないことが多い。この、思い通りいかないことが、旅の楽しさなのかもしれない。

さぁ、準備は万全だ。今日はホテルでゆっくり休み、明日からのインド歩きを楽しむことにしよう。