今回のインドへの旅は、非常に盛りだくさんだった。インドで最大の商業都市ムンバイ Munbai を訪れ、活気に満ちたインド経済を目の当たりにした。また、南インド(タミルナドゥ州 Tamil Nadu)をも訪れ、古き良き伝統的インドに触れることもできた。
最初は、ムンバイ Mumbai を基点に、西インドだけを周る予定だった。世界遺産に登録されているエローラ Ellora やアジャンター Ajanta の石窟群を見て周ろうと思っていた。しかし、偶然にも南インドに住む日本人女性と知り合ったことで、ほとんどの日本人が足を踏み入れたことがないニルギリス Nirgilis へ向かうことに決めた。
実は、旅立つ前までは、ニルギリス Nirgilis とはどういうところなのか、あまりよく知らない状態だった。ましてや、コインバトール Coimbatore やクーヌール Coonoor なんて街の名前は、これまで聞いたこともなかった。
言われてみれば、“ニルギリス・ティー Nirgilis tea”は日本でもよく知られている。アッサム Assam やセイロン Ceylon と並び称されているぐらいだ。ニルギリス Nirgilis は、その“ニルギリス・ティー”の原産地である。あたり一面に、茶畑が広がっていた。
そこは、ティーだけではなく、スパイスの宝庫でもあった。16世紀の大航海時代に、ポルトガルやスペインをはじめとする欧州列強国が、スパイスを求めてここインドを訪れている。それは、バスコ・ダ・ガマ Vasco da Gama やフェルディナンド・マゼラン Ferdiband Magellan が発見したアフリカ南岸を通る航路を辿っていたため、南インドへ到着することになる。
我々日本人が、日々の食卓で使うコショウ。それは、かつて世界勢力図を大きく塗り替える原因にもなっている。アラブ商人やベネチア商人が、欧州へ運ぶコショウ交易で莫大な利益を上げていた。あまりにも高価なコショウを、欧州各国は、なんとか直接手に入れたいと思うのは自然の流れだ。半ば国家プロジェクトとして、多くの冒険家たちはインドを目指した。
現地の人たちの計らいで、コショウをはじめとする多くのスパイスが自生している光景を見られたのも、今回の旅の大きな収穫だ。調味料は、キッチンや食卓に並んでいるものとしか考えていなかったからだ。化学調味料と違って、スパイスは自然の中で育った植物なのだ、というのを実感することができた。
なんといっても、今回の旅で最高の重いでは、現地の人とのふれあいだ。いつまでも私の記憶に根強く残っていくだろう。直美さんしかり、直美さんの旦那様Vinod、そして彼らのお母さん。とてもいい人ばかりだ。
直美さんが言っていた言葉が、とても印象に残っている。「ここの人(南インド)の人は、人のために一生懸命になるんだよね」。遠く離れた異国の地からきた日本人を、自宅に泊めたり、食事を出したり、市場を案内したり、列車やタクシーの手配やヨガの予約を取ってくれたり。どうしてそこまでしてくれるのか、私は恐縮しっぱなしだった。
日本人も、人のために尽くす民族だ。しかし、昨今では、自分のことしか考えられない人が増えてきた。Vinod のお母さんは言っていた。「最近の北インドは、物質社会になってきた。みんな自分のことしか考えていない。でも、ここ南インドは、古き良きインドの伝統を守っている。日本人と一緒。人の幸せは、自分の幸せです」と。
たぶん、お母さんはお見通しなんだろう。今の日本は、個人主義に走りすぎているということを。皮肉にも聞こえるかもしれないその言葉を、私はすんなりと受け入れることができた。もっと日本人らしく生きなくては、という気持ちでいっぱいになった。
日本での生活で、また荒んだ心になってしまったら、ここ南インドを訪れよう。そうすれば、私らしわ、日本人らしさを取り戻すことができるからだ。
今回の旅で、より一段とインドの魅力にはまってしまった。よく似た民族同士をつなげる役割を、微力ながら担っていきたいと思う。