インドへ行こう(52) ~ インド旅を終えて

今回のインドへの旅は、非常に盛りだくさんだった。インドで最大の商業都市ムンバイ Munbai を訪れ、活気に満ちたインド経済を目の当たりにした。また、南インド(タミルナドゥ州 Tamil Nadu)をも訪れ、古き良き伝統的インドに触れることもできた。

最初は、ムンバイ Mumbai を基点に、西インドだけを周る予定だった。世界遺産に登録されているエローラ Ellora やアジャンター Ajanta の石窟群を見て周ろうと思っていた。しかし、偶然にも南インドに住む日本人女性と知り合ったことで、ほとんどの日本人が足を踏み入れたことがないニルギリス Nirgilis へ向かうことに決めた。

実は、旅立つ前までは、ニルギリス Nirgilis とはどういうところなのか、あまりよく知らない状態だった。ましてや、コインバトール Coimbatore やクーヌール Coonoor なんて街の名前は、これまで聞いたこともなかった。

言われてみれば、“ニルギリス・ティー Nirgilis tea”は日本でもよく知られている。アッサム Assam やセイロン Ceylon と並び称されているぐらいだ。ニルギリス Nirgilis は、その“ニルギリス・ティー”の原産地である。あたり一面に、茶畑が広がっていた。

そこは、ティーだけではなく、スパイスの宝庫でもあった。16世紀の大航海時代に、ポルトガルやスペインをはじめとする欧州列強国が、スパイスを求めてここインドを訪れている。それは、バスコ・ダ・ガマ Vasco da Gamaフェルディナンド・マゼラン Ferdiband Magellan が発見したアフリカ南岸を通る航路を辿っていたため、南インドへ到着することになる。

我々日本人が、日々の食卓で使うコショウ。それは、かつて世界勢力図を大きく塗り替える原因にもなっている。アラブ商人やベネチア商人が、欧州へ運ぶコショウ交易で莫大な利益を上げていた。あまりにも高価なコショウを、欧州各国は、なんとか直接手に入れたいと思うのは自然の流れだ。半ば国家プロジェクトとして、多くの冒険家たちはインドを目指した。

現地の人たちの計らいで、コショウをはじめとする多くのスパイスが自生している光景を見られたのも、今回の旅の大きな収穫だ。調味料は、キッチンや食卓に並んでいるものとしか考えていなかったからだ。化学調味料と違って、スパイスは自然の中で育った植物なのだ、というのを実感することができた。

なんといっても、今回の旅で最高の重いでは、現地の人とのふれあいだ。いつまでも私の記憶に根強く残っていくだろう。直美さんしかり、直美さんの旦那様Vinod、そして彼らのお母さん。とてもいい人ばかりだ。

直美さんが言っていた言葉が、とても印象に残っている。「ここの人(南インド)の人は、人のために一生懸命になるんだよね」。遠く離れた異国の地からきた日本人を、自宅に泊めたり、食事を出したり、市場を案内したり、列車やタクシーの手配やヨガの予約を取ってくれたり。どうしてそこまでしてくれるのか、私は恐縮しっぱなしだった。

日本人も、人のために尽くす民族だ。しかし、昨今では、自分のことしか考えられない人が増えてきた。Vinod のお母さんは言っていた。「最近の北インドは、物質社会になってきた。みんな自分のことしか考えていない。でも、ここ南インドは、古き良きインドの伝統を守っている。日本人と一緒。人の幸せは、自分の幸せです」と。

たぶん、お母さんはお見通しなんだろう。今の日本は、個人主義に走りすぎているということを。皮肉にも聞こえるかもしれないその言葉を、私はすんなりと受け入れることができた。もっと日本人らしく生きなくては、という気持ちでいっぱいになった。

日本での生活で、また荒んだ心になってしまったら、ここ南インドを訪れよう。そうすれば、私らしわ、日本人らしさを取り戻すことができるからだ。

今回の旅で、より一段とインドの魅力にはまってしまった。よく似た民族同士をつなげる役割を、微力ながら担っていきたいと思う。

インドへ行こう(51) ~ サハール Sahar 空港

最後の最後に、不愉快な思いをしてしまった。ジュフー海岸 Juhu Beach からサハール Sahar 空港へ向かう際に、ぼったくりタクシーに遭遇してしまったからだ。

気分を取り直して、空港でチェックインの手続きをすることにした。

サハール Sahar 空港は、人影もまばらで閑散としている。中産階級とおぼしきインド人家族、そして私のような一人旅をする白人系外国人、それに空港係員。人数を数えようと思えば、十分に可能な範囲だ。


閑散としているサハール Sahar 空港

タイ航空のカウンターでチェックインを済ませ、空港内を散策することにした。といっても、ここサハール Sahar 空港は、国際空港といっても空港内施設はとても乏しい。みやげ物店とネットカフェぐらいしかない。ネットカフェというのが、いかにもインドらしい。


サハール Sahar 空港内のみやげ物店


サハール Sahar 空港内のネットカフェ

海外の旅でのお決まりのパターン。それは余っている現地通貨で、空港内ショッピングをすること。私は、みやげ物店へ向かった。


サハール Sahar 空港のみやげ物店

そこには、様々ななインド名産品が、きちんと整理されて並んでいた。お香、インド神のフィギュア、衣料、カーペットなど、どれも街中で売られているものに比べてかなり品質は高かった。

私は、木製のフィギュアを三体、それにお香を買うことにした。


サハール Sahar 空港で買ったみやげ

お香は大好きだ。日本でも、ドンキホーテで買いだめしている。しかし、同じお香でも、日本では見かけないものもある。店員が“Nag Chanpa”(写真下)を薦める。とても人気だそうだ。迷わず、それを買って帰ることにした。

日本でも広く知られている『西遊記』。三蔵法師が天竺へ経を取りに行く物語。中国の明の時代に大成した小生である。その三蔵法師にお供する孫悟空は、他のアニメなどでも大活躍するキャラクターだ。とてつもない怪力を発揮し、対決相手を次々と倒していく。

実は、その孫悟空は、インドの有名な叙事詩『ラーマーヤナ』に登場するハヌマーンがモデルになっているといわれている。そのハヌマーンの木製フィギュアが、ここのみやげ物店でも置いてあった(写真右上)。

そうこうしているうちに、時間は20時になっていた。辺りを見渡すと、人も増えてきている。フライトまでまだ3時間以上もあるが、これ以上見るものはない。セキュリティチェックを受け、搭乗ゲートまで向かうことにした。とうとう、インドとお別れをするときがやってきた。


いつの間にか、多くの人がサハール Sahar 空港を訪れていた

インドへ行こう(50) ~ 最後に遭遇した、ムンバイ Mumbai のぼったくりタクシー

短かったインドの旅も、もう終わろうとしている。私は、ジュフー海岸 Juhu Beach を後にし、サハール Sahar 空港へ向かった。

ジュフー海岸 Juhu Beach の前の道路に停めてあったタクシーのドライバーに尋ねた。“Could you bring me to the International Airport?”。彼は、首を大きく縦に振った。私は、後部座席に乗り込み、彼はメーターを動かし始めた。

しばらく走ると、もうそこは大変な渋滞だった。けたたましいクラクションの音と、バイクや車のエンジン音で、窓を開けていると社内ではろくに会話もできないほどだ。

ドライバーが、何やら話しかけてくる。私は窓を閉めて、彼の行くことに耳を傾けた。“300 rupees?”と言っている。私は、“No! The meter is working”と言って、無視をした。彼は、その後も何度も訴えかけてくるが、私は再び窓を開けて外を眺めることにした。

タクシーは、まだまだ渋滞に巻き込まれている。これがムンバイ Mumbai のラッシュなのか。すごい交通量だ。

運転手を見ると、少し様子がおかしい。また運賃の交渉か?と思ったが、どうやら違うらしい。信号で停車すると、彼は窓を開けて、隣に停まった車の運転手に話しかけている。どうやら、サハール Sahar 空港への行き方を聞いているようだ。

そう、彼は国際空港・サハール Sahar 空港への行き方を知らなかったようだ。ジュフー海岸 Juhu Beach で尋ねたときは、首を大きく縦に振ったにもかかわらず、飽きれたものだ。

しかし、ここはインド。何が起きてもおかしくはない。フライトの時間まで、かなり余裕がある。ここは、彼がちゃんとサハール Sahar 空港までたどり着けるかどうか、楽しむことにした。

彼は、信号で停車するたびに、隣に停まる車やバイクのドライバー、また歩道を歩く人にサハール Sahar 空港への行き方を尋ねる。聞かれた人は、みんなきちんと答える。しかし、その答えのほとんどは、“このまままっすぐだ”というもの。本当にそれが正しいのか、わからない。

細い裏路地に入り込んだり、Uターンしたり、迷走したタクシーだったが、ようやくサハール Sahar 空港に到着した。メーターを見ると、“5.3”を示している。思ったより高かった。迷走したからだろう。

しかし、ドライバーは、後ろを振り向いて“300ルピー”と言う。“はぁ!?”と私は思わず日本語で言った。ドライバーと私は、お互いにすごい剣幕で言い争うことになった。

ドライバーは、“空港へ行くのは特別料金だ”と主張する。私も譲らない。“じゃ、誰かに聞いてみようじゃないか!”という。彼は一瞬ひるんだが、負けん気が強いのだろう。助手席の窓を開けて、すぐ近くにいた男性を呼び寄せた。

ドライバーが先に、その男性に話しかける。私には、何を言っているのかわからない。しかし、その男性は、“Yes”と答えて私を見る。私も負けない。“Look at that. The meter is working!”を怒鳴った。すると、その男性の表情は一変し、困った様子でその場を立ち去った。

その後も、しばらくドライバーとの言い争いが続いたが、私は次第に疲れてきた。本来なら、約70ルピーでいいのだが、100ルピー札を1枚だけドライバーに無理やり渡した。私は、釣りを取らずタクシーを降りることにした。

インドへ行こう(49) ~ ジュフー海岸 Juhu Beach

ムンバイ Mumbai のサンタ・クルズ Santa Cruz 空港に着いた。17時だ。タイ・バンコク Bangkok へ向かうタイ航空の便は、23時25分発。それまで6時間もある。

国内線のサンタ・クルズ Santa Cruz 空港から国際線のサハール Sahar 空港までの移動も、シャトル便に乗れば30分で着くようだ。このままシャトルバスに乗ると、時間が余りすぎる。そこで私は、タクシーに乗り込み、ジュフー海岸 Juhu Beach へ向かった。

インドへ旅立つ前に、“Japan Penfriend”というサイトで、インド・ムンバイ Mumbai に住む何人かの人とメール交換をしていた。彼ら彼女らのほとんどが、このジュフー海岸 Juhu Beach を薦めていた。

タイトなスケジュールの今回の旅で、このジュフー海岸 Juhu Beach を訪れるには、このタイミングしかなかった。インドお得意の遅延でもされたら、ジュフー海岸 Juhu Beach へ行くことはできなかった。フライトが予定通りに運行されて安心した。


ジュフー海岸 Juhu Beach

ジュフー海岸 Juhu Beach には、実に多くの人々が訪れていた。海風が少し涼しく感じられるが、やはり暑い。海へ行くと、服を脱いで水着に着替えたい気分だ。

しかし、ここはインド。水着になっている人は一人もいなかった。男性は、デニムのパンツにシャツというラフなスタイル。女性の方は、やはり多くの人がサリーを身にまとっていた。

ビーチにサリー。初めて見る光景だが、悪くはない。どこの国も、ビーチというのは人を惹き付ける魅力があるのだろう。

日本でおなじみの“凧揚げ”も、ここインド・ジュフー海岸 Juhu Beach で見かけることができた。


ジュフー海岸 Juhu Beach で見られたインド版“凧揚げ”

また、ここジュフー海岸 Juhu Beach に、日本のビーチにある“海の家”なるものがあった。そのデザインは、日本のそれとは大きく異なっていたが、気分が高揚するには十分であった。


インド版 “海の家”


“海の家”のカウンターに腰をかけ、飲食する青年達

私は、日本では、“海の家”で必ずヤキソバとビールを注文する。海に、ヤキソバとビールは最高に合う。また、ビーチバーなるものがあれば、ラムトニックで喉を潤すこともある。

その光景を見て、条件反射的にビールを飲みたい気分になった。さっそく、重い荷物を引っ張りながら、インド版“海の家”の方へ向かっていった。

しかし、どこの海の家を覗いても、ビールは置いていない。アルコール類は一切ない。そう、やはりここはインド。そもそも、アルコールに対しては、とても否定的な文化を持っている。

仕方なく、手持ちのミネラルウォーターで喉を潤し、歩き続ける。“海の家”でも客引きによく引っかかる。日本でも、夏になれば、“海の家”の呼び込みは相当なものだ。

ビールにはありつけなかったが、私の気を引く食べ物がいくつかあった。ちょうどお腹も空いてきたところだし、トライしてみることにした。


ラグダ・パティス Ragda Pattice

ラグダ・パティス Ragda Pattice。ラグダ Ragda とは、“辛い”という意味。カレーと同義語のようだ。パティス Pattice とは、ポテトの意味。

 銀色の底の浅い鍋でソースを仕込み、それを饅頭の形をしたポテトの上にかける。


ラグダ・パティス Ragda Pattice のソース。たくさんの具材が煮込まれている。ゴハンにかけても美味しいだろう。


ラグダ・パティス Ragda Pattice のポテト

ソースはほんのり辛く、暑いビーチでは食欲をそそる。小腹が空いたときにはもってこいの料理だ。料金は20ルピー(約60円)で、とても安い。思わず“もう一杯!”と言いたいところだったが、ここは我慢することにした。

ほかに、パニ・プリ Pani Puri というスナックも口にした。


パニ・プリ Pani Puri 。海の家の看板下に袋詰めにされてぶら下がっている。

シュークリームの皮のようなスナックを、スパイスの効いた甘酸っぱいソースに浸けて食べるものだ。6個で20ルピー(約60円)。

ソースは、冷たいものと温かいものがある。冷たいといっても、冷蔵庫などで冷やしているわけではない。常温で冷ましたと言ったほうが正しいのだろう。

これも、辛さと甘酸っぱさが、次々と口にしたくなる代物だ。店の人が7個目を薦めてきたが、迷った挙句、断ることにした。きりがないからだ。

陽が水平線に近づいてきた。時計を見ると、19時少し前だ。サハール Sahar 空港までは、タクシーで30分もあれば到着する。まだ早いとは思ったが、夕刻のムンバイ Mumbai は大渋滞になると聞いてきたので、早めに向かうことにした。


大陽が大きく西に傾いたジュフー Juhu Beach。この景色が、インドとの別れを一段と寂しくさせた。

インドへ行こう(48) ~ コインバトール空港 Coimbatore airport を飛び立つ

早いもので、そろそろ今回のインド旅も終わりに近づきつつある。コインバトール空港 Coimbatore airport へ向かい、ムンバイ Mumbai へ戻らなくてはいけない。


コインバトール空港 Coimbatore airport の正面入口

タクシードライバーに、約束どおりの1500ルピーを支払う。彼に礼を述べ、空港の中へ向かった。すると、正面玄関に向かって左側に、Jet Airways のカウンターが見えた。


空港の外にあった Jet Airways のカウンター

そこへ向かうと、3人のインド人が並んでいる。そのうちの先頭の女性が、係員と何やらもめているようだ。しばらく待っていたが、一向に終わりそうもないので、空港の中をうかがってみた。

空港内には、インド国内線各社のチケットカウンターが並んでいる。もちろん、Jet Airways のチケットカウンターもあった。

そこも、何人か並んではいたが、係員が二人で対応し、手際が良さそうだ。チェックインの手続きは、その空港内のチケットカウンターで済ませることにした。


空港内の、Jet Airways と Air Sahara のチケットカウンター


空港内の、Air Deccan と Indian Airlines のチケットカウンター

思った以上に手続きは早く済み、15時の出発まで2時間近くある。避暑・観光地として利用者は多いといっても、ここ コインバトール Coimbatore は、地方都市である。というより、田舎という表現の方が正しいかもしれない。そんな田舎の空港では、空港の内外を問わず、時間をつぶせるものは何もない。仕方なく、私はそのままセキュリティチェックを受けることにした。


コインバトール空港 Coimbatore airport の中の様子


同じく、コインバトール空港 Coimbatore airport の中の様子。右奥に見えるのは、セキュリティチェック

閑散とした待合室で椅子に腰掛ける。1台のテレビが点けられている。株式市況の放送が写っている。昨今のインドの経済発展を物語っている一面だろう。

また、その番組は、CNNなどのような先進国で見られる株式市況の報道のようである。画面が分割され、最も大きな画面にはキャスターとアナリストが写り、コメントを述べている。そして、その周辺の青無地の部分では、株価やトピック、ニュースなどを文字放送している。私の記憶では、日本でもこのような画面構成の放送がされだしたのは、ここ数年のことではなかったかと思う。

インドは、アジアでありながら、英語圏の国である。かつて英国の植民地であり、また昨今では、米国との繋がりが急速に広がっている。英米の文化を受け入れることにあまり抵抗がなく、加えて極度に発展した映画産業(ボリウッド)、高度なデジタル・IT能力などが相まって、日本顔負けの報道番組を仕立てあげることができるのでは、と勝手に考えた。

そういえば、インド・ムンバイ Mumbai の株式市場は、日本の東京株式市場よりも3年早くオープンしている。1875年のことだ。アジアでは最古の株式市場だという。

そうこうしているうちに、15時発の Jet Airways の搭乗案内が流れた。私は、旅の思い出が詰まって大きく膨らんだバッグを手にもち、搭乗機へ向かった。


土産物などで膨らんだバッグ


コインバトール Coimbatore → ムンバイ Mumbai へ向かうJet Airways機

機内は、ムンバイ Mumbai から来たときの満席に比べて、空席が目立っていた。酷暑の真っ只中であるため、わざわざこの時期に暑いムンバイ Mumbai へ向かう人は少ないのだろう。

私が座った3列シートは、窓際の私と通路側に男性が一人座っているだけである。私の隣は空いており、肘掛を上げてゆったりと機内で過ごすことができた。

窓からそとを眺めると、円弧状の地球の境目や、茶褐色のインド大地が見えた。その大きな地球を眺めていると、人間の存在がとても小さいものに思えてきた。また、日常の些細なことでストレスを感じてみたり、争いごとを起こしたりすることが、とてもバカらしく思えてならなかった。

今回の南インドの旅では、直美さんや Vinod のような人の優しさにたくさん触れることができた。そして最後に、地球の偉大さを目の当たりにし、何ともいえない清清しい気持ちになり、精神的に自分がひと回りもふた回りも大きく成長できたことを実感した。


機内から見えた、円弧状を帯びた地平線


同じく、機内から見えた茶褐色のインド大地

インドへ行こう(46) ~ スパイス天国・南インド スパイスが自生している!

インド料理・カレーに欠かせないスパイス。日本では、カレールーやカレー粉なんかを使ってカレーを作る。西欧風カレーの作り方だ。

しかし、本場インドでは、カレールーというものが存在しない。数多くのスパイスをふんだんに使って、野菜やチキンなどの具材をを煮込む。それが、本来のカレーの作り方だ。

日本では、カレーに使われるスパイスをそう簡単に買うことができない。最近でこそ、スーパーマーケットやショッピングセンターで、小瓶に入ったスパイスが陳列されているのを見かける。しかし、それらは少量であり、本格的なカレーを作るというよりも、日本の食卓に並ぶ料理に、その文字通り‘スパイス’を効かす一調味料という位置づけの方がふさわしいかもしれない。

一方で、インドのマーケット(市場)では、店頭や店内に大量のスパイスが置かれている。大きな麻袋や器に、たっぷりとスパイスが詰め込まれている。

どうして、それほどまでの大量のスパイスが使用できるのか。それは、言わずもがな、それだけの量のスパイスが供給することができるからである。そう、スパイスが、あらゆるところで育成できるからである。

私は幼い頃、コショウといえばS&B製の食卓においてあるコショウが全てだと思っていた。それが大人になるにつれて、粗挽きコショウやブラックペッパーなど、少しずつ本格的なコショーに近づいてきた。

しかし、それでも、コショウというものがどういう植物かは全く知らなかった。というのも、コショウは、食卓やキッチンに置かれていたり店で売られている商品・工業製品、としか考えられなかったからだ。

今回、南インドを旅して、初めて自生しているコショー、すなわち植物としてのコショウを見ることができた。


自生しているブラック・ペッパー。さらに育つと、その名の通り色は黒ずんでいく。

実は、今回の旅の目的のひとつに、野生のスパイスを見てもぎ取ってくる、と決めていた。16世紀に西欧諸国が求めたスパイス、それがここインドでどのような状態で生育しているのだろうか、ぜひ見てみたかった。クーヌール Coonoor からコインバトール Coimbatore へ向かうタクシードライバーに、野生のスパイスが成っているところを案内してくれるようにお願いしていた。


まだ若いブラックペッパーを手に取る


この一粒を口に入れると、まさしくコショウの風味が口の中に広がる

クーヌール Coonoor からニルギリス Nirgilis の山道を下りていく。来るときと同じタクシードライバーは、ゆっくりとアクセルとハンドルをさばく。往路とはまったく違って、とても安全運転だ。Vinod や直美さんが、きちんと彼に伝えてくれたのだろう。

すると、その山道の途中で、彼は路肩に車を停めた。対向車線の先を見ると、なにやら露店が出ている。彼は車を降り、私をそこまで先導した。

その露店で売られているものは、スパイスだ。カルダモン、ナツメグ、ブラックペッパーなど。これ時こそ、今回、南インドへ来た甲斐があった、と思った瞬間だ。

その周辺で自生していたのは、ブラックペッパーだけではない。カルダモン、バニラなど、まるで雑草のように、道端や茂みの中で元気よく育っていた。


カルダモン Cardamon


バニラ Vanilla

初めて見る、植物としてのスパイス。これらもスパイスを求めて、中世の欧州は大航海時代に突入した。

“やっぱり、ここはインドなんだなぁ”って感慨深い気持ちになり、マサラ・ティー Masala Tea で少し一服してから、再びコインバトール Coimbatore へ向かった。


ちょっと一服、マサラ・ティー Masala Tea

インドへ行こう(45) ~ クーヌール Coonoor のマーケット

タージ・マハル・ホテル Taj Mahar Hotel でヨーガ Yoga を終え、Vinod と一緒に家路につく。その途中で、クーヌール Coonoor の中心にあるマーケット(市場)へ立ち寄った。


インド・クーヌール Coonoor のマーケット(市場)

夜7時を過ぎ、辺りは暗くなりかけている時間帯。しかし、多くの人がマーケット(市場)を闊歩している。

Vinod は、まず私をインド・スウィーツ店に連れて行ってくれた。店員らしき人が2人、ほかに客が3人いた。店に入るなり、彼ら全員が Vinod に笑顔で話しかける。

彼らの会話は、訛りの強い英語であったが、ある程度は理解することができた。どうやら、異人種である私、日本人を話題にしているようだ。

Vinod に紹介され、私のその輪の中に入ることができた。「日本のどこからきた?」「結婚しているのか?」「仕事は何をしている?」など、ありきたりであるが楽しい会話を楽しんだ。

しばらくして、店員が私にインド・スウィーツを薦めてくる。甘いものがあまり好きではない私であるが、試しに薦められるものをぱくっと口に入れた。とても甘い。というより、甘すぎる。一口食べただけで、もう十分だった。しかし、彼らは地元の自慢のスウィーツをどんどん薦めてくる。私は正直に、「もういらない」と伝えた。

そのインド・スウィーツ店を出て、Vinod と二人でてくてくとマーケット(市場)を歩いた。そこは、地元の人たちの生活の一部だ。調理器具や食器などの金物関係、衣服、食事の材料など、日々の生活で必要なものは、全てここで揃うのであろう。その中で、特に目に付いたのは、スパイスを扱う店がとても多いことだ。さすがインド。


マーケット(市場)のスパイス専門店。左に写っているのは Vinod 。今回の旅ではとても世話になった。

店頭に、麻袋に目一杯盛り込んだチリが置いてある。また、カルダモンやナツメグなども、同じように大きな器にこんもりと盛られてある。スパイスを買いに来る人は、それらを自分が必要な量だけを店員に告げる。量り売りをしているのだ。

日本も、昔はしょう油や米も量り売りをしていた。店頭や店内にしょう油や米が入れられた大きな器が置かれ、近所のおばさんが必要な量だけを注文する。店のおじさんやおばさんは、世間話をしながら注文された分量を別の器に移す。そんな光景がよく見られたものだ。

最近では、ほとんどの家庭が大型ショッピングセンターで日用品や食材を買ってくる。そこは、予め店やメーカー側が決めた分量に小分けされた商品が陳列されている。一人暮らしをしていたり、老夫婦などの場合、その小分けされた分量が必要以上の量である場合が多い。

また、商品を陳列したりレジ打ちの店員と客の間には、心温まるコミュニケーションというのが皆無に等しい。会話といえば、店が決めたマニュアルや、教育された挨拶などの決まり文句だけだ。そこで売られている食材と同様に、ショッピング自体が味気ないものになってしまっている。

欲しいものが手に入ればそれで終わり、にするのではなくて、ショッピングを通じて人との繋がりを大事にできる社会にしたいものだ。

そんな思いを抱きながら、私はそのマーケット(市場)を後にした。


マーケット(市場)のフルーツ専門店。店先にバナナが吊り下げられている。


八百屋。イモ、タマネギ、ニンニクが並べられていた。インドでは、タマネギやニンニクも、不浄なものとして一切口にしない人も多いようだ。

インドへ行こう(44) ~ ヨーガ Yoga

アーユルヴェーダ Ayurveda で気分も良くなり、次なる目的地へ向かう。

次は、同じタージ・マハル・ホテル Taj Mahar Hotel でヨーガ Yoga 体験だ。指導は、Vinod がやってくれるらしい。

Vinod の家を出る前に約束をしていて、アーユルヴェーダ Ayurveda が終わったらヨーガ Yoga 教室へ行くことになっていた。フロントでその部屋を尋ねた。入り口を出た脇の会談をあがって、2階の部屋だ。


タージ・マハル・ホテル Taj Mahar Hotel のヨーガ Yoga 教室。中央にヨーガ Yoga マットが2枚。写真左下がVinod

普段は、この時間(16-18時)は、レギュラーでヨーガ Yoga 教室が行われているらしい。何人かの生徒をまとめて指導しているようだが、この日はたまたま生誰もいなかった。だから、Vinod と私でマン・ツー・マンだ。

 

インドへ行こう(43) ~ アーユルベーダAyurveda

クーヌール Coonoor に戻り、直美さんの家で一休みをした。彼女は、私に空腹具合を尋ね、昼食を作ってくれた。

時計を見ると、15時を少し回ったところ。16時から、近くのタージ・マハル・ホテル Taj Mahar Hotel で、アーユルベーダ Ayurveda の予約を入れておいた。

ここからタージ・マハル・ホテル Taj Mahar Hotel までは、車で5分、歩いて20分程度だ。Vinod がバイクで送ってくれると言っていたが、私は無性に歩きたくなって、直美さんにそこまで行く地図を描いてもらった。

決して上手とはいえない地図だったが、それを頼りに歩き出す。頭上に大きな籠をのせた女性、仲間と談笑しながら歩く男性二人組。また、道端でヤギが物欲しそうに突っ立っている。そんな地元の人たちの生活風景を楽しみながら、私は歩を進めていく。


道端で餌を探していたヤギ

道中で、いくつかの分岐路に差し掛かった。直美さんの地図ではわかりづらい。道行く人に、“Where to Taj?” と問いかける。みんな笑顔で親切に教えてくれた。本当に南インドの人は、人のためになることを喜んでする。とても気持ちいい。

そんな現地の人たちの助けをもらいながら、難なくタージ・マハル・ホテル Taj Mahar Hotel に到着することができた。

フロントで私の名前を告げ、Vinod の紹介で16時からアーユルヴェーダ Ayurveda の予約を入れておいたことを伝える。

Vinod は、ここタージ・マハル・ホテル Taj Mahar Hotel で、ヨガ Yoga を教えている。だから、フロントマンやホテルの従業員とは懇意である。そんなVinod の力も借りて、なんとか今日の16時からアーユルベーダ Ayurveda の予約を入れることができた。

フロントマンに案内されて、マッサージ・ルームへ向かう。ドアをノックし、中へ入る。そこには、背の高いスリムな青年と、少し背が低い丸々とした女性がいた。二人とも、真っ白の衣服を身にまとっていた。

私が入室すると、女性の方は部屋から出て行った。ひょっとして、この二人は同じ職場の仲間として、良い仲なのかもしれない。私は“邪魔をしちゃったかな”とか思いながら、青年の方と握手をした。


アーユルベーダ Ayurveda を施術する青年

彼は、さっそく準備に入った。真っ白の長方形の布を1枚取り出し、それをびりびりっと破り始める。とても手際が良い。すると、その布はあっという間に、細長い紐の下に布の切れ端が長く垂れ下がる形になった。そう、まさしく“ふんどし”である。

彼は、その“ふんどし”の紐を私の腰に巻きつけ、垂れ下がった布を前から後ろへ、股間を隠すように巻き上げた。とても簡単に仕上げた“ふんどし”なため、少し動くと恥ずかしいところが丸見えの状態になってしまう。私は、ゆっくりとマッサージ台に腰掛けた。

彼は、ストーブを付け、部屋を少し暖める。そして、オイルを取り出し、調合を始める。その手際をまじまじと見ながら、アーユルヴェーダ Ayurveda の開始を待った。

まずはヘッド・トリートメント。頭皮に軽くオイルを垂らし、やさしくマッサージを始める。とても気持ちいい。だらしない表情になっていないか心配になった。数分間、そのヘッド・トリートメントで恍惚とした気分になり、次はベッドに横たわって、全身のオイル・マッサージだ。

マッサージ台は木でできていて、体の節々が当って少し痛い。しかし、そんなことも全身のオイル・マッサージが始まった途端にどこかへ飛んでいってしまった。

両腕、両手、両脚、肩、背中など、全身のくまなくマッサージをしてくれる。旅の疲れなのか、ついつい寝入ってしまいそうである。いくつか彼と会話も楽しんでいると、あっという間に1時間が過ぎてしまった。

シャワーを浴び、服を着る。体がとても軽い。日本での生活の疲れ、旅の疲れが一気に吹っ飛んだ。宙にも浮きそうな心地で、私は彼に礼を言って、マッサージ・ルームを後にした。

フロントで料金を支払う。500ルピー。日本円では、約1400円だ。Vinod の紹介で特別料金にしてくれたみたいだが、それにしても破格の値段だ。日本で受けた アーユルヴェーダAyurveda に何万も支払ったのが馬鹿らしく思ってしまう。

物価の違いのせいもあるが、このアーユルヴェーダ Ayurveda もインドの人たちにとっては日常のひとつなんだろう。そのために高額にするわけにはいかない、という結論を自分で勝手に考えてしまった。いずれにしても、本当にいい体験をさせてもらった。

インドへ行こう(42) ~ 植物園 Botanical Garden

ウーティ Ooty で最後の行き先は、植物園 Botanical Garden だ。ウーティ Ooty 駅から北東に3kmほど行ったところにある。


植物園 Botanical Garden の正面ゲート

正面ゲートの前には、土産物屋がたくさんある。また、花飾りを売る女性たちや、フルーツを売る露店などもあり、とても活気に満ちている。


花飾りを売る女性たち。花の色と身にまとうサリーの色がとても美しい


フルーツを売る露店

その活気あるゲート前を通り抜け、園内に入っていった。


入り口(ゲート)から見た植物園内の風景

園内の中央には、鮮やかな緑色をした芝生が大きく広がっている。そこに、いくつかの大木が立ち、頭上から降り注ぐ太陽光をいくらか和らげていた。大木の周りには、家族連れと思われる人たちが集まって談笑している姿が見える、また、インド式のランチボックスを携えて食事をしているグループもいる。子供たちは、この大きくて心地良い芝生の上に横たわり、斜面の転がる速さを競って遊んだりしていた。

そんな穏やかな光景を見ながら、私は歩を進めていった。すると、前方から、一人の少年が、満面の笑みを浮かべて私の方に寄ってくる。“Hi, nice to meet you.” 私も、応える。“Where are you from?” 私は“Japan” と応えた。すると彼は、一段と声を高らかにして“Oh, Japan!!” と叫び、後方にいた家族を呼び寄せた。

その後、その家族たちとお互いの自己紹介、またお互いの国のことを話した。みんな“日本のことは知っている。大好きだ”という。

お母さんらしき人は、“Are you married?” と聞いてきた。私は “Not yet” と応える。すると、“My two daughters is still single, too. Would you be married with her?” と聞いてくるではないか。まだ、14歳と16歳だという。彼女たちが笑いながらだったので、私もさらに顔を崩して笑みを返した。


中央の少年が、とても陽気に私に話しかけてきてくれた