交渉に不慣れな日本人

 インド旅経験者の印象は、大きく二つに分かれる。「もう一度行きたい」と思う人、「もう二度と行きたくない」と思う人、両極端だろう。俺は、「もう一度行きたい」と思っている男だ。
 「二度と行きたくない」と思う人は、やはり現地で大変な目に遭った人。たとえば、乗ったリクシャーで土産物店に連れて行かれて欲しくもないモノを買わされたり、現地でツアーを申し込んだけど予定通りに行程が進まない(到着したホテルが予定したところと違う、迎えの車が来ないなど)とか。ほかの途上国でも同じようなトラブルに巻き込まれることもあるけど、インドはひときわその頻度が高いみたい。
 どうして、多くの人がこういったトラブルに巻き込まれるのだろう。まずは、現地の人たちのモラルがあるだろう。モラルが低いというより、日本人と違う環境で育ったためだと思う。もちろん、騙す方が悪いに決まっているけど、彼ら・彼女らは日々の生活がかかっている。俺がアーグラーへ着いたその日、小学校低学年ぐらいの男の子に「20Rps!」といってミネラルウォーターを売り付けられようとした。幸いにも、そのときは既に、10RPSが相場がわかっていた。でも、15Rpsで買うことにした。彼の瞳を見て、なぜかそう思った。俺自身が納得の上、5割増しの値段で買った。
 日本人は、普段の生活の中で「交渉」をすることを極端に避ける。特に、金銭に関わる交渉は、「不浄」とされているかのように。だけど、本来モノの値段というのは、双方の間で取り決められるもの。ミネラルウォーターが、10Rpsでなくちゃいけない法律はどこにもない。その男の子と俺との間で「交渉」の結果、30Rpsで取引をしてもかまわない。普段から「交渉」をしない日本人は、強く主張する現地のインド人にすぐに応諾してしまうのだろうか。応諾してから、あとで騙された!と言うのはいかがなものか。嫌なら断ればいい。ツーリストだからといって、気後れする必要は全くない。もちろん、俺もインド滞在中に、騙された!と思うことは何度かある。だけど、あえてそう思わないようにしている。そのときは、納得してその取引に応じたのだから。自分の交渉下手を責めるようにしている。
 「交渉」は現地の人とのコミュニケーション。俺は、それを楽しむようにしている。せっかくの旅なんだから、みんなももっと「交渉」を楽しんではどうかな?
 

What is your ボルク?

 「セルビッシュ」と同様に、ある英語を「ボルク」と訛って発音している。顔をつき合わせて何度も話していると、徐々に理解できるようになる。「ボルク」とは、「work」のこと。そう、「お前の仕事はなんだ?」と聞かれているのだ。
 出会うインド人は、ほとんど全てといっていいぐらい、俺の仕事を聞いてくる。英語で俺の仕事を説明すると、その次に飛び出してくるのは、「俺と商売をしないか?」という。シルクの店に入ったとき、店員が執拗に聞いてきた。「日本で俺の商品を売らないか?」。そのシルク製品は、あまりよい品質ではなかった。だから、俺はそのまま店を出ることにした。
 また、駅の待合室で列車を待っていると、駅員らしき男が話しかけてくる。そこでも同じような会話がなされた。インド人は、商売がすきなのか?日本人が好きなのか?たぶん、その両方だろう。アジアの経済大国である日本、その日本人と組めば俺も金持ちになれる、と思っているのだろうか。しかし、近い将来、インドと日本は、国レベルでそういう関係になる気配が漂っていると思うのは、俺だけだろうか。

セルビッシュ

 インドを旅している間、「セルビッシュ」という言葉を何度も聞いた。最初は何のことかわからなかった。しかし、その場の雰囲気で、その「セルビッシュ」は、「サービス」のことを言っているのだとわかった。英語の「service」を、彼らは訛って「セルビッシュ」と発音しているようだ。
 しかし、この「セルビッシュ」という言葉は、我々日本人には理解できない場面で出てくる。たとえば、ドライバーを雇って車で移動していると、当初の予定にはない観光地へ案内してくれる。親切だなぁ、と思っていると、最後に「セルビッシュ」という言葉が発せられる。と同時に、右手を差し出してくる。日本語で「サービス」といえば、「無料」を意味する場合が多い。相手に親切に接することは、無料で行うべし、いう文化が日本にはある。しかし、彼らは違う。「サービス」も有料なのだ。この地では「チップ」と同義語かもしれない、と思った。
 「チップ」と多くの場面で聞かされた。バラナシで世話になったホテルの支配人。彼が親切にも、デリーで向かう列車に乗り込むときに、俺の座席を探してくれた。ホテルでは、まとわりつく現地人を追っ払ってくれたり、地図で道を案内してくれたり。本当に優しいジェントルマンであった。しかし、彼もまた、その「チップ」を要求してきた。乗り込んだ列車で俺の座席が見つけたときだ。少しがっかりしたけど、ここインドではこれが当たり前なのか・・・。彼は本当によくしてくれたから、少しばかりのチップを手渡すことにした。
 インドでは、「親切」は無料ではないらしい。これからインドを旅する人は、気をつけたほうがいい。もちろん、嫌なら拒めがいいんだけど。

インド 鉄道の旅(3)

 日も暮れかかったころ、目の前のオバチャンが降車した。その間、時折視線は外すが、執拗に俺のことを睨みつけていた。「なんだ、この東洋人は?」とでも言わんばかりに。かなり気が落ち着かない時間が続いたが、それからはリラックスして旅の続きを楽しむことができた。
 夕食の時間だ。車内で販売していいるプレートを買った。料理名はわからない。しかし、鶏肉を使ったその料理は、とてもおいしいと思った。同時に、チャイを売りに来ている。遠くから「チャ~イ、チャ~イ」とヤル気のなさそうな声が聞こえる。その声が近づいてきて、俺がその売り子に目をやると、彼はこっちを見て「チャイ?」と言った。なんだか、見込み客が見つかって急にヤル気が出たような感じだった。少し滑稽に思えた。
 その後、車内は暗くなり寝る時間だ。さっきまでオバチャンが座っていたシートと連結して、俺の寝床は完成した。
 俺のインドの一人旅も終盤に差し掛かってきた。ベッドに横たわりながら、短い期間であったがいろんな思い出が頭の中を駆け巡った。あ~ぁ、あと1日で終わりだ、と思うと、なんだか寂しい気がしてきた。

インド 鉄道の旅(2)

 バラナシからデリーへは、列車で十数時間もかかる。ということは、その移動も、必然的に夜行になった。
 バラナシで15時ぐらいに列車に乗り込み、前と同じようにチケットに書いてある番号を探した。すぐに見つかったが、二人対面式のシートで、目の前にはインドのオバチャンが既に座っている。軽く会釈をして、俺は自分の荷物を座席にくくりつけて、ゆっくりと腰掛けた。すると、彼女はずっと俺のことを見つめている。というより、睨みつけていると言ったほうが正しいかもしれない。なにもオカシイことはしていないが、なにか気が落ち着かない。仕方なく俺は車窓を眺めることにした。
 しばらく走ると、線路脇に一人の女の子がこっちを向いて手を振っている。時折通る長距離列車に向かって、いつもしているのだろう。とても愛くるしい。そういえば、アーグラーからバラナシへ向かう列車で、夜が明けた早朝に、同じように一人の女の子が線路脇にいたことがある。そのときは、手を振っているのではなく、こっちへ向かってしゃがみこみ用を足している最中だった。「あちゃ~・・・」と思いつつ、いかにもインドらしいと思った。

インド 鉄道の旅(1)

 もともと、鉄道での旅が好きな俺は、インドでも移動は鉄道をメインにしようと決めていた。インドでは、鉄道をカメラ撮影をすることができない。隣国パキスタンと紛争が絶えない関係で、軍事政策によるものらしい。
 アーグラー→バラナシ、バラナシ→デリーの移動は、夜行にした。短い旅程で、少しでも時間を有効に活用するためだ。アーグラーで列車に乗り込んだのは、22時を過ぎたころ。もちろん列車の電気は消されていて、乗客はみんな自分のベッドで休んでいた。俺は、チケット番号を確かめて自分の場所へ向かった。すると、そこには既に誰かが寝ている。現地の人だ。予想はしていが、いざその場になるとどうしていいかわからない。ちょうどそこに車掌が来て、チケットを見せる。その車掌は、俺のベッドをひと目見ると、チケットを俺に手渡し、そのまま去っていった。「なんじゃ!」。仕方なく、俺は別の空いているベッドに荷物を置き、しばらく座って車内を眺めていた。誰も俺を咎める人もなく、俺はそのまま横になることにした。翌朝まで、ぐっすりと眠ることができた。

聖なる大河 ガンガー

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 やっと訪れることができた。バラナシ。日本を出発前に、何があってもこのバラナシだけは行きたい!と思っていた。ヒンズゥー教徒の聖なる大河・ガンガーをひと目見たいと思っていたからだ。
 思った以上に河は汚い。早朝にボートに乗って沖まで出た。ボートのすぐ近くに牛の死体が浮いている。ある人に聞くと、人の死体まで浮いていることだってあるらしい。ボートを降り、ガートを歩いていると、これから人の死体を火葬しようとするところに遭遇した。2本の木で作った担架の上に死体を乗せ、これから葬ろうとしているところだった。見てていいのか、すぐにその場を去らなければいけないのか・・・どうしていいのかわからないままその場に立っていると、一人の男が話しかけてきた。インド訛りの英語でとても聞き取りにくかったが、どうやら目の前で行われている儀式を解説してくれているらしい。一通り解説が済むと、彼は「あの人のために、蒔を寄付してやって欲しい。1kgで7US$、最低でも2kgは寄付をしてやってくれ。そうでないと、彼はうかばれない」とのこと。断れない・・・そんな光景を目の当たりにして。しかし、2kgで14ドルは高い!本来であれば交渉するべきではなかったかもしれないが、ドル紙幣をあまり持ち合わせていないこともあって、「1kgだけでいいか?」といえば、OKとのこと。彼は、傍に山積みにしてあった薪を1束だけ取り出し、その火の中に放り込んだ。
 たぶん、俺と同じような経験をした人は多いだろう。彼らの行為は、本当に宗教的なものなのだろうか?それとも、俺は単に騙されただけなのか?おそらく、後者の可能性も高いだろう。だけど、日本では決して見ることができない光景、生と死がいたるところで混在しているインドでしかできない経験であった。

バグシーシ

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 「ナマステ」と同じぐらい、「バグシーシ」という言葉は知れ渡っている。しかし、俺がインドへ入国してから数日間、この「バグシーシ」を聞いたことがなかった。どちらかというと、リクシャーや土産物などの客引きに囲まれ、執拗に誘われた記憶ばっかりだ。
 サールナートを歩いていると、現地の子供二人に出くわした。デジカメで写真撮影をしていると、近くでじっと俺を見つめている。俺は近寄って話しかけた。すると、やはりデジカメが珍しかったらしい。俺は、彼らにそれを手渡して、触ってもいいよと言った。でも、彼らは使い方がわからない様子だ。はにかみながら、それを俺に差し返した。「写真を撮って」と言い、俺は彼らにカメラを向けた。撮影後にもしばらくコミュニケートしていたが、そろそろその場を立ち去ろうとしたときに、彼らから「バグシーシ」と言われた。初めて聞く「バグシーシ」である。とっても愛らしい二人だったので、どうしようか悩んでいたら、遠くで彼らに叫ぶ男がいる。彼らは、その男を見ると一目散で去っていった。彼ら二人の身なりからして、裕福な家庭に育っているのだろう。だけど、異国の地から来ているツーリストが、高価なカメラなんかを持っていたら、とても金持ちに見えるのだろう。ひょっとすると、彼らの家庭のほうが経済状態はいいのかもしれないのに・・・。ツーリストとしてアジア諸国を訪れるとき、我々日本人が考えている以上に、日本は素晴らしい国だと思っているようだ。

サール・ナート

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 仏教の四大聖地のひとつ、サールナートは、バラナシと北部に位置する。車で20~30分ぐらいかかったと思う。ここサールナートは、ブッダが悟った真理を初めて語った地として名が知れ渡っている。
 周辺を一人で歩いていると、現地のインド人が話しかけてきた。本人いわく、日本人の妻を持つらしい。俺は既に歩きつかれて、もう帰ろうかと思っていた矢先だったから、彼の話に付き合った。何を話したかはほとんど覚えていないが、印象に残っているのは「日本の女性はとても優しくて素晴らしい」という。その後も、現地のインド人からは「日本の女性は素晴らしい」と聞くことになるが、それらはすべてセックスに関することだった。だけど、この男だけは、本当に日本人妻を愛しているとのことだった。
 片言の日本語しか話せない彼が、本当に日本人の女性と結婚していたかどうかはわからない。言葉巧みに話しかけて、金品を騙し取ってやろうと思っていたのかもしれない。だけど、どこかのホテルや家に誘うわけでもなく、終始笑顔で、日本人の俺と話すのがとてもうれしい様子だった。暇なだけだったのかもしれないけど・・・。インドは、親日派が多いらしい。どんな理由であれ、彼のその姿を見ていると、信じてもいいだろうと思った。

ヤムナー川

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 Taji Mahalから眺めるヤムナー川。この川は、下流であのガンガーと合流している。
 今回の旅の大きな目的のひとつは、この聖なる大河ガンガーを見ること。世界中のヒンズゥー教徒があこがれる聖地で、日本のガイドブックでは、Taji Mahalに次ぐ訪れるスポットとして紹介されている。この時点では、まだガンガーを見ることができていなかった。この日の夜に、バラナシ行きの夜行列車に乗る予定にしていたからだ。
 少し時間に余裕があった。腰を下ろして、ゆったりとこのヤムナー川を眺めていた。隣に、欧米系の外国人のカップルが一組、同じように腰掛けている。なにか時間が止まったように感じたのは俺だけではないだろう。いつも時間に追いかけられていると感じる日本だけでなく、現地の人たちもこの大河を眺めていると、同じように感じるのではないだろうか。いや、彼ら・彼女たちとって、この大河は生活のために必要不可欠なんだろう。精神的にも・・・。決して綺麗な河ではないが、ずっとその場に座って眺め続けていたい、と思った。