聖なる大河 ガンガー

d9732ea9.jpg

 やっと訪れることができた。バラナシ。日本を出発前に、何があってもこのバラナシだけは行きたい!と思っていた。ヒンズゥー教徒の聖なる大河・ガンガーをひと目見たいと思っていたからだ。
 思った以上に河は汚い。早朝にボートに乗って沖まで出た。ボートのすぐ近くに牛の死体が浮いている。ある人に聞くと、人の死体まで浮いていることだってあるらしい。ボートを降り、ガートを歩いていると、これから人の死体を火葬しようとするところに遭遇した。2本の木で作った担架の上に死体を乗せ、これから葬ろうとしているところだった。見てていいのか、すぐにその場を去らなければいけないのか・・・どうしていいのかわからないままその場に立っていると、一人の男が話しかけてきた。インド訛りの英語でとても聞き取りにくかったが、どうやら目の前で行われている儀式を解説してくれているらしい。一通り解説が済むと、彼は「あの人のために、蒔を寄付してやって欲しい。1kgで7US$、最低でも2kgは寄付をしてやってくれ。そうでないと、彼はうかばれない」とのこと。断れない・・・そんな光景を目の当たりにして。しかし、2kgで14ドルは高い!本来であれば交渉するべきではなかったかもしれないが、ドル紙幣をあまり持ち合わせていないこともあって、「1kgだけでいいか?」といえば、OKとのこと。彼は、傍に山積みにしてあった薪を1束だけ取り出し、その火の中に放り込んだ。
 たぶん、俺と同じような経験をした人は多いだろう。彼らの行為は、本当に宗教的なものなのだろうか?それとも、俺は単に騙されただけなのか?おそらく、後者の可能性も高いだろう。だけど、日本では決して見ることができない光景、生と死がいたるところで混在しているインドでしかできない経験であった。

バグシーシ

b491cace.jpg

 「ナマステ」と同じぐらい、「バグシーシ」という言葉は知れ渡っている。しかし、俺がインドへ入国してから数日間、この「バグシーシ」を聞いたことがなかった。どちらかというと、リクシャーや土産物などの客引きに囲まれ、執拗に誘われた記憶ばっかりだ。
 サールナートを歩いていると、現地の子供二人に出くわした。デジカメで写真撮影をしていると、近くでじっと俺を見つめている。俺は近寄って話しかけた。すると、やはりデジカメが珍しかったらしい。俺は、彼らにそれを手渡して、触ってもいいよと言った。でも、彼らは使い方がわからない様子だ。はにかみながら、それを俺に差し返した。「写真を撮って」と言い、俺は彼らにカメラを向けた。撮影後にもしばらくコミュニケートしていたが、そろそろその場を立ち去ろうとしたときに、彼らから「バグシーシ」と言われた。初めて聞く「バグシーシ」である。とっても愛らしい二人だったので、どうしようか悩んでいたら、遠くで彼らに叫ぶ男がいる。彼らは、その男を見ると一目散で去っていった。彼ら二人の身なりからして、裕福な家庭に育っているのだろう。だけど、異国の地から来ているツーリストが、高価なカメラなんかを持っていたら、とても金持ちに見えるのだろう。ひょっとすると、彼らの家庭のほうが経済状態はいいのかもしれないのに・・・。ツーリストとしてアジア諸国を訪れるとき、我々日本人が考えている以上に、日本は素晴らしい国だと思っているようだ。

サール・ナート

7ba93b5a.jpg

 仏教の四大聖地のひとつ、サールナートは、バラナシと北部に位置する。車で20~30分ぐらいかかったと思う。ここサールナートは、ブッダが悟った真理を初めて語った地として名が知れ渡っている。
 周辺を一人で歩いていると、現地のインド人が話しかけてきた。本人いわく、日本人の妻を持つらしい。俺は既に歩きつかれて、もう帰ろうかと思っていた矢先だったから、彼の話に付き合った。何を話したかはほとんど覚えていないが、印象に残っているのは「日本の女性はとても優しくて素晴らしい」という。その後も、現地のインド人からは「日本の女性は素晴らしい」と聞くことになるが、それらはすべてセックスに関することだった。だけど、この男だけは、本当に日本人妻を愛しているとのことだった。
 片言の日本語しか話せない彼が、本当に日本人の女性と結婚していたかどうかはわからない。言葉巧みに話しかけて、金品を騙し取ってやろうと思っていたのかもしれない。だけど、どこかのホテルや家に誘うわけでもなく、終始笑顔で、日本人の俺と話すのがとてもうれしい様子だった。暇なだけだったのかもしれないけど・・・。インドは、親日派が多いらしい。どんな理由であれ、彼のその姿を見ていると、信じてもいいだろうと思った。

ヤムナー川

89e5fba2.jpg

 Taji Mahalから眺めるヤムナー川。この川は、下流であのガンガーと合流している。
 今回の旅の大きな目的のひとつは、この聖なる大河ガンガーを見ること。世界中のヒンズゥー教徒があこがれる聖地で、日本のガイドブックでは、Taji Mahalに次ぐ訪れるスポットとして紹介されている。この時点では、まだガンガーを見ることができていなかった。この日の夜に、バラナシ行きの夜行列車に乗る予定にしていたからだ。
 少し時間に余裕があった。腰を下ろして、ゆったりとこのヤムナー川を眺めていた。隣に、欧米系の外国人のカップルが一組、同じように腰掛けている。なにか時間が止まったように感じたのは俺だけではないだろう。いつも時間に追いかけられていると感じる日本だけでなく、現地の人たちもこの大河を眺めていると、同じように感じるのではないだろうか。いや、彼ら・彼女たちとって、この大河は生活のために必要不可欠なんだろう。精神的にも・・・。決して綺麗な河ではないが、ずっとその場に座って眺め続けていたい、と思った。

Taji Mahal

cdb9838d.jpg

 Taji Mahalから眺めるヤムナー川。この川は、下流であのガンガーと合流している。
 今回の旅の大きな目的のひとつは、この聖なる大河ガンガーを見ること。世界中のヒンズゥー教徒があこがれる聖地で、日本のガイドブックでは、Taji Mahalに次ぐ訪れるスポットとして紹介されている。この時点では、まだガンガーを見ることができていなかった。この日の夜に、バラナシ行きの夜行列車に乗る予定にしていたからだ。
 少し時間に余裕があった。腰を下ろして、ゆったりとこのヤムナー川を眺めていた。隣に、欧米系の外国人のカップルが一組、同じように腰掛けている。なにか時間が止まったように感じたのは俺だけではないだろう。いつも時間に追いかけられていると感じる日本だけでなく、現地の人たちもこの大河を眺めていると、同じように感じるのではないだろうか。いや、彼ら・彼女たちとって、この大河は生活のために必要不可欠なんだろう。精神的にも・・・。決して綺麗な河ではないが、ずっとその場に座って眺め続けていたい、と思った

アーグラー城

b63a2621.jpg

 アーグラーは、あのTaji Mahalがある街。デリーから約200km程度、南下したところにある。ガイドブックでは、電車で行くことを薦めているが、俺は車で行くことになった。というのも、現地ツアー会社で手配しようと思ったが、俺の希望する時間帯は、デリー-アーグラーは満席でチケットを手配できないとのこと。騙されているとも思ったけど、現地ドライバーと何時間も一緒に過ごすのも一興だと思い、その案に乗った。所要時間は、約6時間程度。途中、いくつかの観光地+昼食をとったので、寄り道しないでまっすぐ向かえば、デリー-アーグラーはもっと早いのか?
 アーグラー城は、ムガール帝国の最盛期、第3代皇帝アクバルによって建造された1565年。その後、ジャハーン・ギール、シャーン・ジャハーンの後継皇帝により増築されていった。ちょうど日本は戦国時代に差し掛かっているとき。日本の城建築も目を見張るものが、それ以上の技術・文化がその時代のこの地に築かれていた。そう思うと、インドの底力を感じざるを得なかった。

日本の女性は尻が軽い!?

 私がインドへ入ったのはちょうど3年前。デリー → アーグラー → バラナシ → デリーをたった1週間で駆け巡った、超短期間のトリップだった。本当に短いトリップだったけど、今でも頭から離れない貴重な体験をたくさんした。
 そのもっとも印象的だったのは、やっぱりバラナシでのガンガーだろう。早朝に起きてガードまで出かけ、約1時間ほどボートに乗ってガンガーを周遊した。車から降り立つと、待っていたかのように現地インド人が寄ってたかり、売り込みや物乞いが始まる。その時点では、もうインド滞在も数日が過ぎていて、慣れてはいたけど。ガンガー沖合いから見たガートも印象深がった。無邪気に水しぶきを上げている子供、熱心に祈っている年配の女性、みんな何も着ないで素っ裸の状態だ。だけど、まったく厭らしい雰囲気はなく、とても神聖な光景に見えた。また、ガートでは、ちょうど死体を焼くところに遭遇し、やはり気になり覗き込んでしまうと、一人の男性が近寄ってきた。訛った英語で懇切丁寧に説明をし、一緒に祈ってくれとのこと。最後には「あの人のために、2kgの薪を14米ドルで寄付してやってくれ」と。そんなシチュエーションで断れるはずがない。でも14米ドルはたかいのではないか・・・と思っていると、ちょうど米ドルは7ドルしかなかったので、それだけを寄付してそこを後にした。
 夜行列車にも乗車した。ちょうど、アーグラーからバラナシへ向かうのに、時間を有効活用するには、その夜行列車が一番良かったからだ。もともと列車や船の旅が好きな私には、最高の体験だった。少しでも安く済ませるために、3段ベッドの車両にした。夜の23時ぐらいに予定していた列車に乗り込み、早速自分の番号を探すと、そこにはもう他の人が寝ている。もちろんインド人。「あ~ぁ、やっぱりなぁ・・・」と思いながら、車掌に言ってみたけど、俺の言ってることが通じないみたい。「こいつ、英語が喋れねぇのか!?」とムッとしたけど、仕方なく他の空いているベッドで寝ることにした。
 他には、タージマハールも良かったし、アーグラーではホテルの主人の子供に、3way(黒ボールペン+赤ボールペン+シャーペン)のペンをあげたらとても喜んでた。本当にうれしそうな顔で。その主人が、「ちゃんとお礼を言いなさい」とでも言ったのだろうか、その子が「Thank you」と恥ずかしそうに言った。
 いろいろと思い出深いトリップだったけど、ひとつだけ残念なことがあった。それは、現地インド人と交流するたびに、「日本の女性は、ベッドの上ではとてもエモーショナルだ」とか、「この子は4日連続で、まったく寝かせてくれなかったよ」と言って、紙にローマ字で書いてある日本女性の名前を見せた。短いトリップの中で、この類の話は4回聞いた。たまたま、日本の女性と関係を持ったインド人が私の周りに現れたのか?それとも、彼らがみんなホラを吹いているのか?真実はわからないが、もし彼らが本当にあった自分の体験を言っているのであれば、少し残念だ。かつて、日本の女性がイエローキャブと揶揄されたことがある。フリーセックスを楽しむのはいいが、あまり日本の恥をさらすような行動だけは謹んでもらいたいものだ。
 
 

ビザ不発給が増加

 今日(5月9日)の新聞で、「外務省 ビザ不発給が増加」という記事が載っていた。内容は、インドの物理学や天文学の研究者に対して、外務省がビザを不発給している事例が増えているとのこと。理由は、外務省は明らかにしていないが、インドがNPT(核不拡散条約)非加盟が理由ではないか?と記事は伝えている。
 不発給を受けたインド人は、1998年に1人、2003年に3人、2004年に6人、2005年に1人、合計11人で、そのうち9人がインド原子力エネルギー庁傘下の研究機関に所属、残り2人はパンジャブ大学などの大学の研究者。
 中国ブームといわれている現在、次の巨像はインドだと言われている。そのインドとも対決する姿勢なのか。いや、先日、日本の総理大臣が同国を訪問している。国の戦略は、歴史的にもゆかりのあるインドとは、これからも友好関係を築いていこうとしているのだろう。しかし、そんな方向性とは真っ向から対立する扱いだ。
 中国や韓国では、昨今、反日ムードが盛り上がっている。両国の歴史教育にも問題がありそうな気もするが、結果として今の状態がある。それに加えて、インドとも非友好的なムードを作り出していこうとするのか?それでは、日本はアジアのどの国と、真の友好を築いていけるのだろうか。
 不発給の真意を公表していない現状では軽率なことは言えない。世界で唯一の被爆国である日本が、核に関する技術に敏感になるのは当然のことだろう。しかし、もし科学に対して不理解で、事務的な手続きだけでこのようなビザ不発給措置をしているのであれば、即刻方針変換をするべきではないか、と思うのは俺だけではないだろう。

リトルインディア

 俺が初めてインドカルチャーに触れたのは、シンガポールへ行ったとき。久しぶりのアジアで、人種の坩堝といわれる国を訪問するのはそれが初めてだった。人種の坩堝・・・主に、マレー、チャイニーズ、インディアというまったく異なった人種が、あの狭い国で共存している。それまでいった国々とは明らかに違う。必ず何かが得るものがある!と思い、期待に胸を膨らませて、飛行機に乗り込んだ。たった5日間のショートトリップだったけど、非常に貴重な大変をした。
 
 まず、ひとつ目は、初めて外国人の友達ができた。中華系のマレーシア国民だ。滞在4日目に、マレーシア日帰りツアー(自主企画)の帰りに、その彼と出会った。バス待ちをしていたところ、話しかけられた。とても親日派で、今でも交友がある。
 
 そして、ふたつ目、それは初めて見たネイティブインド人である。その中華系マレーシア人の彼と、バスの中でお互いのことを話していると、夕食+夜のシンガポールを案内してもらうことになった。かなりラッキーなことだ。まったく日本人がいない、現地人だけのエリアへも案内してもらったり、とても安いうまい屋台村を紹介してもらったり、貴重な体験をさせてもらった。
 
 夕食が済んだ後、彼に「ほかにいきたいところはないか?」と聞かれて、「リトルインディアへ行きたい!」と言った。そうすると、彼は一瞬うろたえた様子を見せた。あまり好きではないようだ。やっぱり人種の壁なのか?だけど、初対面にもかかわらず、彼を夜のリトルインディアへ連れて行くと、そこは初めて経験する異様な雰囲気に包まれていた。時間帯は夜で、なおかつ周辺は街灯が少ない。だから、薄暗闇の中、大人数のインド人が街中を走り回っている。車の往来がなくなると、道路の両端から一斉に走り出す。横断歩道もへったくれもない状態。しかも、色の黒いインド人が夜の街を徘徊している。正直に言って、顔かたちははっきりと見えない。目だけが空中を飛び交っているようにも見えた。その光景と、インド人の多さとその勢いに、初めて「怖い」という思いを感じられた。だけど、これを逃すと、リトルインディアへは行けないと思い、勇気を振り絞って、彼と二人でその中へ飛び込んでいった。肌の色が違う東洋人が二人歩いているので、何人かのインド人が話しかけてきたが、結局は何事もなく、無事にホテルへ帰ることはできた。
 
 また、ヒンドゥー寺院を初めて訪れたのも、この旅での出来事である。バスに乗ってシンガポール市内を探索していると、車窓から今まで見たこともないオブジェが目に飛び込んできた。「なんじゃ、あれ!?」というのが最初の感想。事前に、ヒンドゥー教の情報をインプットしてこなかったせいもあるが、思わずそのバスを飛び降りた。靴を脱いで寺院の中に足を踏み入れると、そこでは敬虔なヒンドゥー教徒が、祈りを捧げていた。目の前は幹線道路。バスや車の往来が激しい。多くの人も行き交っている。だけど、その寺院の中では、そんな喧騒もほとんど聞こえない。ただ、数メートルの塀で周りを囲んでいるだけなのに。その静寂な雰囲気と、祈り捧げるヒンドゥー教徒を目の当たりにし、単なる興味本位で飛び込んできた俺は、大変申し訳ない気持ちになったのも事実である。

 日本で、インド料理店はたくさんある。アジア料理が大好きな私は、ランチとかでも、よく専門店へ足を運ぶ。そこで働いているネイティブなインド人は、かなり上品な人たちばかり。みんな日本文化に慣れ親しんだの、それとももともと上流階級の人たちばかりなのか。だから、シンガポールで見たインド人は、俺の頭の中にあるものとはまったく異なっていた。はじめて見る、本来のネイティブインド人だ。それを怖いと思う日本人は多いだろう。だけど、私はそのエネルギッシュなインド人の街を気に入ってしまった。これが、俺に「いつかインドへ行こう!」と決心させたのは間違いない。
 
ネット上で見かけた気になるサイト ⇒ 『リトルインディアの楽しみ方』

インド専門ブログ 『Chandan』 発進!

 3年前のGW、ちょうど今頃、初めてインド亜大陸に足を踏み入れた。学生時代に、何人かの友人から、「インドを経験すると人生観が変わるよ」と言われていた。それから幾年も経ってから、ようやく世界第2の人口大国インドへ向かうことになった。それからというもの、この「インド」での経験が常に頭の中に焼きついている。  今、中国の時代だっていわれている。テレビ、新聞、ネットなどのメディアでは、毎日必ず中国の関する情報を発信している。世界第一位の人口を有していて、現在の経済成長を考えると当然のことだろう。また、日本はかつて、この中国から多くのものを学んだ。歴史の教科書を開いてみれば、その過程がわかるだろう。俺も、中国は大好きだし、旅したこともあるし、中国株式も幾銘柄か持っている。しかし、それ以上に、最近改めて気になりだしたのは「インド」の存在。先日、日本の首相がインドを公式訪問し、そのニュースで改めて思い出さされたこともあるけど、やっぱりかつて経験したあの記憶が、頭の中から離れない。それぐらい強烈だった。  最近では、中国の次は「インドだ!」っていわれている。あのアメリカも、今はインドに注目をしている。どうしてか?それは、目覚しいIT産業の成長と、英語が準公用語だからだ。イギリスの植民地であった歴史的な背景と、軍事目的で技術者養成を推進してきたことに起因するようだ。確かに、俺がインドへ旅したときも、言葉にはあまり困らなかった。ドライバーや街中の子供とでも、英語を介してコミュニケートすることができた。反面、中国はどうか?私の経験では、英語はまったくといっていいほど通じない。上海へ出かけたときにも、ホテルの手配や列車のチケットの手配などで、かなり苦労したのを覚えている。あの上海ですら、そんな状態だった。  私自身がいま持っている経験と知識をもとに、思い込んでいる節もあるかもしれないが、日本にとってもこれからインドの存在は無視できないぐらい大きくなるだろう。まだまだど素人の域ではあるけれど、そのインドを俺なりに深く追求していこうと思っている。少しでも関心のある方は、俺と一緒に研究しないか?